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ポーシュ・ションクランティ 少女と女神ラクシュミとの約束

少女と女神ラクシュミインド西ベンガルのシャンティニケトンから20㎞ほど離れたシアン村に2011年の暮れから2012年1月末まで滞在しました。私は、ここ数年毎年冬に四十日ほどここに滞在し、植物染めや文様図案描きなどをしています。

12月半ばから1月半ばのこの時期はちょうどベンガルで一番寒いポーシュ月、吉祥天ラクシュミーが地上に降りている月です。我々にとってはさほど寒くないベンガルの冬ですが、こちらの人々にとっては極寒、子供達は耳や頭が寒いのか毛糸の目出し帽をかぶっています。日が沈むと急に寒くなり、暖房器具なしの夜は体が芯まで冷えます。

一月半ばのシンと冷え込んむ真夜中。私は寝床に入り何枚も布団を掛けて、じっと眠くなるのを待っていました。やっと体が温まった頃、寝静まったはずの近くの集落から、少女達の可愛い歌声がかすかに聞こえてきました。その声は、何故か日本語で “楽しい、楽しい” と誘っているように聞こえてなりません。そうか、今日はポーシュ月最後の日、“ポーシュ・ションクランティ”のお祭りの夜です。少女達が、良い夫に廻り合えるようにと願掛けの儀式の“トゥシュ・ガンを歌っているのです。明日の夜明けとともにラクシュミーが天に帰ってしまうのです。

窓を開けて村の集落の方を見ると、暗闇の中に“ポッ”と小さな灯りが見えて、そこから絶え間ない歌声が聞こえてきます。もうこんな光景も見られなくなるかもしれない。そう思うとたまらず、私達はぬくぬくとした寝床から起き上がって、灯りのともる少女たちのところへ引き付けられるように行きました。

灯明を囲んで夜中に歌っていたのは、モンディラと仲良し四人組、十三~十五歳の少女達です。彼女達がこのラクシュミーへの願掛け“トゥシュラ”をやるのは、3年目、今年が最後の年です。シアン村では、モンディラ達の後に続く希望者がいません。四人はチャドルを頭から被り、肩を寄せ合って歌っています。自らの幸福な結婚、そして幸せな家庭生活を願って、ラクシュミーに祈りを捧げているのです。“どうか、天に帰らないで、ここにもっといてください”. と、もう三晩も歌っています。それぞれが異なった息継ぎをして延々と歌い繋いで行きます。

少女達の前には、供物の花と灯明と牛糞を丸めた香台に線香とロウソクが素焼きの皿の上に乗せられ、少女の数だけ飾られていました。この皿自体が祈りの対象の“トゥシュラ”なのだそうです。私達は闇のずっと深い世界に連れて行かれるような気分になって、しばらく酔うように聴いていましたが、そのうち身に刺さる寒さに負けて帰りました。少女達の歌声はいつまで続いていたのでしょう。再び暖かい布団の中に入って、聴いていましたがそのうち眠りに着いてしまいました。

次の朝まだ暗いうちにホラ貝の音と、歓喜をあげるウルの甲高い声に、私は飛び起きました。とりあえずチャドルを巻いて、昨日のところに行ってみると、少女達はよそ行きのサリーに着替えていました。昨夜の少女の姿から、衣一枚で、もういつ嫁に行ってもおかしくない若い女性に変わったのは驚きです。モンディラ達は、灯明がついた素焼きの皿をそれぞれ頭に乗せて近くの池まで歌いながら、一列に歩いて行きました。彼女たちの家族と共に私達も眠い目をこすりながら列の後ろをついて行きました。

東の空が白む頃、村のはずれの池に着きました。池には朝靄が水面を這うように立ち込めていました。少女達は池の西側から東に向い、冷たい水に入って行きました。灯明を頭に乗せながら、おもむろに腰のところまで入ると、ドボンと頭のてっぺんまで水に浸かりました。その瞬間に少女達の、神への強い願いと信頼を見たような気がして、私は思わず叫び声をあげてしまいました。

それはとても幻想的でした。頭がすっぽりと水に入るとともに四つの灯りを乗せた素焼きの皿は水に浮かび、薄暗い朝もやの中に流れて行きました。その灯りが東の方へ進んで見えなくなった時、もやのむこうから朝日が出て来ました。その瞬間、ラクシュミーは確かに昇天したように思いました。それと同時に少女達は、神との固い約束をしたのだと、知りました。少女達の姿は神々しく、何のためらいもありませんでした。儀式を終え、水から上がると、彼女達は急に寒さを感じたのか、金切り声をあげていました。母親が持って来た服に、あわてて着替える姿はいつもの女の子になっていました。

ポーシュ・ションクランティの祭りは、家庭的な祭りです。家の中では、女性達が祭りの準備をします。その一つ一つが微笑ましく、ままごと遊びように楽しいのです。ここでも女神をできるだけ長く引き止め、座らせ、家中の幸福を願います。戸口から庭の神殿、そこから家の中の神棚まで、所々にラクシュミーが座る蓮花座模様(アルポナ)と女神の足跡の模様(ロッキーポドチンノ)を描きます。器に米粉と白亜を水溶きし、木綿の布を浸し、その布を握り絞りながら中指で模様を描いて行きます。子供達が楽しみにしているのは米粉で作るお菓子(ピテ)です。みんな台所に来て待ちきれず、母親と一緒に作ります。夜にはラクシュミーが座る蓮花座アルポナに春に植える作物の苗の供え物をして、家中の幸福をお願いします。村の家々が鳴らすホラ貝の音を聴く時は、ピテでお腹も一杯になって何とも言えない安らぎを感じます。

“楽しい、楽しい”、と聞こえた少女達の歌は、実は”キャノシーヴ、キャノシーヴ”と言っていたらしく、夫の象徴であるシヴァを讃える歌の一節だったようです。

このあまりに当たり前な文句、“将来の幸せな結婚、幸福な家庭生活”を素直に願うことができなくなった我々、または今の日本の若者に、いったい何が満たされて、何が足らなかったのかを改めて考えてみようと思いました。

2012年1月  インド西ベンガル シアン村にて