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第2話『ワニとジャッカルの畑仕事』

サトウキビの穂を刈るワニ

ワニとジャッカルがいっしょに畑仕事をはじめたそうです。さて何を作ったかというと、初めに作ったのはジャガイモでした。ジャガイモは地面の下にできるに決まっています。地面の上にできる葉っぱなんか何の役にもたちやしない。ところが、ワニはこれを知りませんでした。わっさりと茂ったジャガイモ畑を見たワニは、ジャッカルをうまくまるめこんでやろうと思って言いました。

「きみが地面の下の方をとって、おいらが上の方をとることにしよう、それで文句はないかい?」

ジャッカルはただ笑って、「うん、それでいいや。」と答えました。

ジャガイモができるころになると、ワニはジャッカルより先に畑に出かけていって地面より上の部分を全部刈り取っていきました。ところが家に帰ってよくよく見るとジャガイモなんか一個もついていません。あわてて畑にもどってみましたが、もうそのときは畑のジャガイモはジャッカルが掘った後でした。ワニはつぶやきました。

「そうか、これはまったくうかつだったな。このつぎは見てろよ。」

今度は米を作ることになりました。ワニは、今度はうまくやってやろうと、ジャッカルに前もってこう言っておきました。

「おいらは上をもらうのはもうごめんだよ。今度はおいらに下の方をくれなくちゃね。」

これを聞いたジャッカルは、ニヤリとして答えました。

「うん、それでいいや。」

それから時もたって米がみのるころになると、今度は先にジャッカルが田んぼに行って、稲の根だけ残して上をぜんぶ刈りとっていきました。

さて、ワニはというと「今度こそうんと米を掘るぞ」とホクホクしながら田んぼに行きました。ところが田んぼを掘ってみてがっかり、根っこばかりで何にもありません。ワニはワラさえも得ることができませんでした。

ワニはぷんぷん腹を立ててジャッカルの家に行くと、こう言いました。

「こらっ、ジャッカルめ。今度は絶対きみには上の穂をやらないからな。穂はぜんぶおいらがもらうんだっ、いいなっ!」

「そんなに怒らないで、きみの言うとおりで文句はないよ。」

ジャッカルは笑いをこらえて言いました。

今度作ることになっていたのはサトウキビだったのです。

それからしばらくして、サトウキビの刈り入れの時がきました。ジャッカルはワニがいうままに、先にサトウキビの穂をワニに刈らせておきました。そしてワニが穂をぜんぶ持っていった後で、茎の方を刈り取って帰りました。そして家でうまそうにかじっていました。

一方、ワニとはいえば、ススキの穂みたいなサトウキビの穂を家に持ち帰ってくしゃくしゃとかんでいました。けれど、何だかしょっぱいだけで、ちっとも甘くありません。しゃくにさわったワニは、サトウキビの穂をみんな放り投げて、ジャッカルのところへ駆けてってこう言いました。

「あ〜あ!もうきみなんかといっしょに畑仕事をするのはこりごりだ。ずいぶんバカ見たよ。」

(『さいほう鳥のお話集』サウペンドロ・キショル・ライチョウドリより)

再話:西岡直樹
挿絵:西岡由利子

※本文は、東京ジューキ食品ダージリン会刊『天竺南蛮情報』の『インド民話シリーズ』に連載していた文章を編集・加筆したものです。

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第1話『象の腹に入ったジャッカル』

ある王様が大きくて立派な象を飼っていました。王様はその象をたいへん可愛がって、どこへ行くにもその象に乗っていきました。ところが、ある日突然その象が死んでしまったのです。王様はひじょうに悲しみました。できることなら象の亡骸をずっとそばに置いておきたいと思ったのですが、そうもいきません。王様は仕方なくその象を荒地に捨ててくるように命じました。翌日、五百人もの家来たちが象の足に太い網をかけ、それを引いて行きました。

その荒地には一匹のジャッカルが住んでいました。ジャッカルはこのところずっと獲物にありつけず、たいへんひもじい思いをしていました。そんなところへ大きな象が転がり込んできたのだから、ジャッカルの喜びようときたらありません。王様の家来たちが帰ってしまうと、すぐに飛んでってやわらかそうな象の腹のあたりにかぶりつきました。あんまり腹が減っていたジャッカルは、肉を喰い喰いついには象の腹の中まで入ってしまいました。そしてそのまま夢中になって喰い続けていました。こうしてジャッカルは二日も象の腹の中で肉を喰い、眠っていたでしょうか。

「腹もふくらんだし、さてここらで・・・」

ジャッカルは外に出ようとしてはたと困ってしまいました。二日の間日に照らされた象の皮はすっかり縮んで、穴が小さくなってしまったのです。腹のふくれたジャッカルは象の腹から出ることができなくなってしまいました。

ジャッカルが外を覗きながらどうしたらよいものかと考えていると、そこへ農夫が三人通りかかりました。ジャッカルは機転をきかせて象の腹の中から三人に呼びかけました。

「もしもし、そこへ行くお方、どうか王様のところへ行って、壺25杯のギー(バターオイル)を持ってきてわたしの体に塗るように言っておくれ。そうすれば私は再び起き上がって歩くことができるとね。」

これを聞いてたまげた三人の農夫は、王様のところへ駆けつけてこのことを言いました。王様はたいへん喜んでこう言いました。

「ギー25壺じゃ少ない、すぐに千壺のギーを持っていって象に塗ってこい。」

たちまち千人もの人夫が千個の壺を担いで行き、2千人もの人が寄ってたかって象にギーを塗りたくり始めました。それギー、やれギー、荒野ではギーよりほかの言葉は聞かれないほどです。

こうして7日も経つと象の皮もずいぶんゆるんで穴も広がってきました。出ようとすればもう出られます。ジャッカルは外のみんなに言いました。

「さあ立つぞ、よろけて倒れると危ない。みんなどいた、どいた!」

これを聞いてみんなは壺やらギーを放り出していっせいに逃げ出しました。

「逃げるにゃ今だ。」

頭の良いジャッカルはすばやく象の腹から飛び出して、森の中へと姿を消しました。

採録・再話:西岡直樹
挿絵:西岡由利子

※本文は、東京ジューキ食品ダージリン会刊『天竺南蛮情報』の『インド民話シリーズ』に連載していた文章を編集・加筆したものです。

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食虫植物クルマバモウセンゴケ インドの短い冬に生きる

モウセンゴケ

工房の近くの荒地に、どんなに暑く乾いたときでも水の枯れないジョルナダンガ(台地の泉)という場所がある。そこで見つけたクルマバモウセンゴケ。葉の繊毛の先にキラキラ光るつゆをつけている。モウセンゴケの仲間は多年草が多いが、これは一年草。インドの短い冬の間だけで一生を終えるこの小さな食虫植物は、葉が丸く、見るからに愛くるしい。

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アダンの雄花は香り抜群

アダン刺し子のオーダーをした帰り道。道端に生えていたのをみつけた。葉を一枚取ろうとしたら、縁に生えている曲がったトゲに刺されてしまった。アダンの雄花は甘くやるせない香りがする。ヒンディー語でケワダ、ベンガル語でケオラと呼ばれ、雄花から作ったそういう名前の香水がヒンドゥー教の儀式の道具や材料を扱う店で売られているという。さっそく買いに行った。

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染・織の面白さ

オリジナル手織りブラウス
オリジナル手織りブラウス(キアイ、インドアカネ、蓮先染め)

いろいろな植物で染めるのは楽しい。古くから使われるキアイやインドアカネはもちろん、池に浮かぶ蓮やガガブタなどの水草でも良い色が染まる。また染めた糸を経と緯に織り重ねる時も、少量の試し織りと長い反物とでは表情が違い、出来上がるまで、いつもわくわくはらはらさせられる。

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香りの王者-クチナシ 梔子

クチナシ言問い通りの歩道わきに置かれたプランターから、クチナシが枝をのばし、初夏の光に葉を輝かせていた。通り過ぎざまに服の裾が枝をはじいたのか、パシッと音がして大きないもむしが歩道に落ちた。鮮やかな緑色をしたいもむしは、アスファルトの上で行くべき方向をさぐるように頭を振りはじめた。クチナシの持主には悪いが、私はとっさにいもむしを拾って、プランターに返した。そんな小さな木を生の営みの場にしていたいもむしをそのままにしていくのは忍びなかったのである。クチナシにつく緑色のいもむしだから、そのいもむしはきっとオオスカシバという蛾の幼虫だろう。

六月に入ると、クチナシは咲きはじめる。谷中の墓地にはクチナシが多い。一重のもの、シデ咲きのもの、八重のもの、小形のコクチナシなど、いろいろな品種のクチナシが植えられている。その清んだ匂いが梅雨の重い空気を軽やかにしてくれる。八重咲きの大きな花は、とくに匂いが強い。厚みのある花びらは、咲きはじめは白く、しだいに黄色みをましてくる。その色の変化は、匂いの移ろいと似ているような気がする。最近は一重のクチナシはあまり好まれないのかあまり目にしないが、谷中の墓地には多く、度々目にするうちに一重のものも美しいと思うようになった。清楚でしかも彫金細工のようにキリッとした形をしている。岡倉天心の墓前に植えられていたのはコクチナシだろうか、小形で花冠の切れ込みが細く、かわいらしい形をしていた。
一重のクチナシは静岡県以西の本州から四国、九州、台湾、中国、フィリピンにかけて自生している。小学生の頃一時期を過ごした宮崎県の山にもクチナシは生えていて、オレンジ色の実をみつけると薬になるというので使う当てもないのに採ったりしたものだ。それにしても、クチナシとは変な名前だとその頃から思っていた。

クチナシクチナシは実が開裂しないから「口無し」という説、また、ヘビのことを「朽縄」といい、ヘビイチゴをクチナワイチゴとも呼ぶように、ヘビが好む梨としてクチナワナシと呼ばれていたのが転じてクチナシとなったという説。また、谷中の墓地に眠る牧野富太郎博士は、細かい種子のある果実をナシにみたて、それに宿存性の嘴状の萼があることをクチと呼び、クチを具えたナシの意味であると書かれている。多くの説があり、やはりそう簡単にはいいきれず、子供の頃に変な名前だと思ったのも無理のないことだと思う。

牧野富太郎博士は、さらに、この花を一名センプクと呼ぶことが仏教の書物に出ていると書かれている。しかしこの瞻蔔迦と言うのはクチナシのことではなく、サンスクリット名のチャンパカ-campakaを漢字で音写したもので、キンコウボク(金香木)をさす。キンコウボクは、インド~ミャンマーに生えるモクレン科の高木で、こちらもクリーム色のなんともよい香りの花を咲かせ、インドではチャンパー、タイではチャンピーの名で親しまれている。また仏が好む花としてよく仏前に供えられる。本物のチャンパカにひけをとらないクチナシを選んで、センプクの名をあてたのだろう。八重のクチナシは、インドにもあって、匂いのよい花として好んで庭に植えられ、ベンガル語でゴンド・ラージ(香りの王者)と呼ばれている。

クチナシ(この記事は季刊誌谷根千87号に掲載したものです)

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アセンヤクノキ 阿仙薬の樹

カテキュー染めジャケットAcacia catechu WILLD, Gambir カテキュー、ペグノキ
インド、タイ、ビルマの乾燥した山岳地帯に生えるマメ科の落葉中高木。6月から次の年の1月の間に伐採した心材や枝を細かいチップ状にする。これを土製の壷で水煮し濃縮してこのエキスを木製バットで冷却し乾燥する。これをキューブ状の塊に割り、流通する。心材からは、10%以上の水性エキスが取れるという。
漢方薬としては、止血、消炎、整腸の薬効として重要で、古くから我々がお世話になっている正露丸の原料に使われているそうだ。また口腔の清涼剤としての効果もあって、仁丹にも入っているそうだ。インドでは、食後の嗜好品であるパーン(キンマ)には必ず入れる。パーンの葉に石灰を塗り、ビンロウジ(檳榔子)とこのアセンヤクノキ(Khair, Katha)の樹脂を少量入れ、これに好みでスパイスやミント、氷砂糖のかけらなどを加える。噛みながら口の中はアセンヤクノキと石灰が反応して真っ赤になる。パーンを噛と、何故かすっきりする。唾液を出してしまい、過食を防ぐということと、食べた食物の消化促進の効果があると言われている。
染をする人は、カテキューの名の方が馴染みがあると思う。タンニンを多く含んでいて、明礬媒染で赤茶。鉄で焦げ茶色が染まる。しっかり染まり、堅牢性がある。民間では、皮や、船の帆、魚網を強く保つ為に染めに用いられるている。腐敗防止の効果があると言われる。アセンヤクノキで染めた布は、植物の持つ優しいぬくもりと強さがあり、時と共に着手になじんだ味わいが出てくるのが不思議だ。

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御隠殿坂のニワゼキショウ

御隠殿坂は寛永寺の北門から根岸に抜ける山道で、昔は寛永寺から輪王寺宮法親王の別邸に行く道だったそうだ。坂を下った根岸は、川が流れ、梅が咲き鶯が鳴く風情のある場所だったに違いない。明治時代には、正岡子規が長屋に住まい、そこでは文人達がたむろした。子規はにこの坂で歌を読んでいる。

御院田にて鳴雪不折両氏と別る
月の根岸闇の谷中や別れ道 (明治27年)

ニワゼキショウは坂の土手の上のあちこちに群生している。小さな飴玉のような種がかわいい。
谷中の御院殿坂の道は今でも日が暮れれは闇、そして月は根岸から登ってくる。

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谷中の丘のハハコグサ

ハハコグサ生まれ育った家や生まれて初めて触れた環境が、良く夢の中に出てくる。そんな夢は朝まで覚えていないのだが、日常のふとした瞬間に頭に浮かぶことがある。

谷中の天王寺東周辺の丘には、ハハコグサがたくさん生えている。この黄色い粟のような花を見ると4~5歳頃に良く遊んだ板橋双葉町の緑豊かな丘がよみがえる。小さな粒々の先っぽが面白くて、見ているうちにどうしても分解したくなった。綿毛の生えた葉っぱの方までそっとちぎっていくと、フワフワとしていて、母が綿入の半天作りに使っていた真綿のようにのびた。そんな幼児の時の感触や風景が今、この花を見た瞬間に鮮明に頭の中で見えてくるてくるのだ。

私の生家や、遊んだ路地、丘もすべて東京オリンピックの前、環状7号線の開通で影も形もなかった。あれはすべて、夢だったのだろうか。頭の中にだけある風景は、何が現実だったのか自信がない。谷中の丘のハハコグサは、遠い記憶が夢ではなかったことを証明してくれるようで、有り難い。

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夕やけだんだんの大藤

日暮里駅西口の藤日暮里駅西口: 
何度も通っているのに花が咲くまで、そこにこんなに立派な藤があるなんて気付かなかった。夕やけだんの階段手前左側のお宅の石垣の中から、張り出すようにビワの木が生えている。その木にからんで立ち上り、さらに向こう側の桐の木をつたって這い上がる。こんなに伸びやかな藤は都会ではめずらしい。まるで房総の山に咲く野生の藤のようだ。桐の木がもっと伸びてくれれば、天にまで伸びたいと言わんばかりだ。

花房が長いところを見ると園芸種だろう。夜店か何処かの植木屋さんで売られていた小さな苗がここまで育ったのではないだろうか。自由奔放に生ている姿を見を見ると、“誰に遠慮はいらないよ”と言われているみたいで、あたり一帯が居心地が良い。

これは、ここだけのの話だけれど、夕焼けだんだん入り口の犬やさんのご主人は、40年以上前からほとんど変わらない。ご本人に、お父さんはお元気ですかと尋ねたら、それは私です。と答えた。彼は、お化けのように年をとらない。