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インドアカネ

茜染めブラウス
茜染めブラウス

アカネ科 Rubia cordifolia L., Rubia manjista.
茜染料は、インダス文明、紀元前二千年の頃にはすでに糸を染める染料として用いられていたと言われています。茜染めの染方法は西北部インド周辺では古代から伝承され、その色は繊維がなくなるまで変わらないと言われるほど技術が高かったようです。この地方で用いられていた茜は主に二種類あると思われ、ヒマラヤ山麓の丘陵地帯、チョタナーグプルやスリランカの山岳地に自生する四葉のインドアカネ、またアフガニスタン、イランで採れる六葉のセイウヨウアカネが両方使われていたのではないかと思われます。
インドアカネは、根は太いひげ状をしていて、現在でも薬用として売られています。アナンダ工房は、この乾燥したインドアカネを用いています。染めるたびに色合いが異なりますが、毎回より美しい色が染まるよう苦心しています。美しい色を見ることはこの上なく幸せです。(図=直樹 文=由利子)

インドアカネ
インドアカネ

 

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アカネ染め

茜染めの様子
茜染めの様子
インドの工房でインド茜を染めています。どんな色が出るかドキドキ。染めている途中で、真っ赤なトンボが木の枝に止まって、応援してくれました。まずは強撚糸のスカーフと、ブラウス用の布地を染めてみました。水の具合、布地との相性、まだまだ改良の余地ありですが、毎回改良を重ねて、もっともっとよい色が染まるように頑張っています。今回の色は、黄色味が多いですが、秋らしいオレンジでしっかりと濃い色が染まりました。
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タッサーシルクと極細綿の強撚糸

丸くなった強撚糸のかせ
丸くなった強撚糸のかせ
マリモのように丸まる強撚糸
150番手の手紡ぎ綿糸を紡ぐ際に、極端に糸をかせから外すと、縮んでマリモのように強くねじりをかけて紡いでもらいました。 一本どり,または二本どりにして捻りをかけた丸くなります。その糸をタッサーを経糸として平織りにし、水通しすると、とても面白いしわの布が出来上がりました。
強撚糸の布
強撚糸の布
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蓮染め

蓮染めタッサージャケット
蓮染めタッサージャケット
インドの工房の向かいには、カマバアカシヤに囲まれた静寂な池があり、そこには蓮が生い茂っています。冬にはカモやカワセミがやって来ます。工房ではこの池を借りて稚魚を放ち、蓮を大切にしています。以前はグウシを紡ぐことも可能でしたが、この頃は、なかなか紡いでもらえなくなりました。数年前から春から秋に、この葉で蓮染をしています。タッサーや綿糸が、深みのある黄色から緑に染まります。春、秋、晩秋とそれぞれ発色が違うのも面白いです。堅牢でとても上品な色味に染まります。もちろん夏には蓮の花が池いっぱいに咲きこれを見るのがいちばん楽しみです。
インドの工房の蓮池
インドの工房の蓮池
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ラックカイガラムシ

ラックカイガラムシLaccifer lacca【臙脂虫】ラック, Lack, 現地語=ラー、ラークシャー、ラッカ、クリムダナ
ラックはハナモツヤクノキ、イヌナツメなどに寄生するカイガラムシが分泌する樹脂状の物質です。虫自らが身を守るために分泌したその硬い殻は赤い色素を含んでいて、煮出すと色素が溶け出て、後に琥珀色の樹脂シェラックが残ります。 かつてイギリス(東インド会社)に支配されていた東インドでは、このラックが大量に生産されていました。染料としてよりもむしろシェラック樹脂を採るために、ハナモツヤクノキの植林、ラックカイガラムシの繁殖、養殖、採集、集積、ラックの精製、シェラックの製品までがすべて現地で行われていました。 シェラックは、イギリスにとってかつては重要な交易品目の一つでした。大航海時代には大きな船の船舶の塗料として、またあのイギリス王室の威厳ある臙脂色の馬車や家具もこの塗料で塗られていました。またヨーロッパ伝統の封印wax sealにはスティック状のシェラックスティックが用いられていて、インドでは今でも郵便小包や書留などの封印に同様のsealing wax(ガラ)が使われています。

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香りの王者-クチナシ 梔子

クチナシ言問い通りの歩道わきに置かれたプランターから、クチナシが枝をのばし、初夏の光に葉を輝かせていた。通り過ぎざまに服の裾が枝をはじいたのか、パシッと音がして大きないもむしが歩道に落ちた。鮮やかな緑色をしたいもむしは、アスファルトの上で行くべき方向をさぐるように頭を振りはじめた。クチナシの持主には悪いが、私はとっさにいもむしを拾って、プランターに返した。そんな小さな木を生の営みの場にしていたいもむしをそのままにしていくのは忍びなかったのである。クチナシにつく緑色のいもむしだから、そのいもむしはきっとオオスカシバという蛾の幼虫だろう。

六月に入ると、クチナシは咲きはじめる。谷中の墓地にはクチナシが多い。一重のもの、シデ咲きのもの、八重のもの、小形のコクチナシなど、いろいろな品種のクチナシが植えられている。その清んだ匂いが梅雨の重い空気を軽やかにしてくれる。八重咲きの大きな花は、とくに匂いが強い。厚みのある花びらは、咲きはじめは白く、しだいに黄色みをましてくる。その色の変化は、匂いの移ろいと似ているような気がする。最近は一重のクチナシはあまり好まれないのかあまり目にしないが、谷中の墓地には多く、度々目にするうちに一重のものも美しいと思うようになった。清楚でしかも彫金細工のようにキリッとした形をしている。岡倉天心の墓前に植えられていたのはコクチナシだろうか、小形で花冠の切れ込みが細く、かわいらしい形をしていた。
一重のクチナシは静岡県以西の本州から四国、九州、台湾、中国、フィリピンにかけて自生している。小学生の頃一時期を過ごした宮崎県の山にもクチナシは生えていて、オレンジ色の実をみつけると薬になるというので使う当てもないのに採ったりしたものだ。それにしても、クチナシとは変な名前だとその頃から思っていた。

クチナシクチナシは実が開裂しないから「口無し」という説、また、ヘビのことを「朽縄」といい、ヘビイチゴをクチナワイチゴとも呼ぶように、ヘビが好む梨としてクチナワナシと呼ばれていたのが転じてクチナシとなったという説。また、谷中の墓地に眠る牧野富太郎博士は、細かい種子のある果実をナシにみたて、それに宿存性の嘴状の萼があることをクチと呼び、クチを具えたナシの意味であると書かれている。多くの説があり、やはりそう簡単にはいいきれず、子供の頃に変な名前だと思ったのも無理のないことだと思う。

牧野富太郎博士は、さらに、この花を一名センプクと呼ぶことが仏教の書物に出ていると書かれている。しかしこの瞻蔔迦と言うのはクチナシのことではなく、サンスクリット名のチャンパカ-campakaを漢字で音写したもので、キンコウボク(金香木)をさす。キンコウボクは、インド~ミャンマーに生えるモクレン科の高木で、こちらもクリーム色のなんともよい香りの花を咲かせ、インドではチャンパー、タイではチャンピーの名で親しまれている。また仏が好む花としてよく仏前に供えられる。本物のチャンパカにひけをとらないクチナシを選んで、センプクの名をあてたのだろう。八重のクチナシは、インドにもあって、匂いのよい花として好んで庭に植えられ、ベンガル語でゴンド・ラージ(香りの王者)と呼ばれている。

クチナシ(この記事は季刊誌谷根千87号に掲載したものです)

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アセンヤクノキ 阿仙薬の樹

カテキュー染めジャケットAcacia catechu WILLD, Gambir カテキュー、ペグノキ
インド、タイ、ビルマの乾燥した山岳地帯に生えるマメ科の落葉中高木。6月から次の年の1月の間に伐採した心材や枝を細かいチップ状にする。これを土製の壷で水煮し濃縮してこのエキスを木製バットで冷却し乾燥する。これをキューブ状の塊に割り、流通する。心材からは、10%以上の水性エキスが取れるという。
漢方薬としては、止血、消炎、整腸の薬効として重要で、古くから我々がお世話になっている正露丸の原料に使われているそうだ。また口腔の清涼剤としての効果もあって、仁丹にも入っているそうだ。インドでは、食後の嗜好品であるパーン(キンマ)には必ず入れる。パーンの葉に石灰を塗り、ビンロウジ(檳榔子)とこのアセンヤクノキ(Khair, Katha)の樹脂を少量入れ、これに好みでスパイスやミント、氷砂糖のかけらなどを加える。噛みながら口の中はアセンヤクノキと石灰が反応して真っ赤になる。パーンを噛と、何故かすっきりする。唾液を出してしまい、過食を防ぐということと、食べた食物の消化促進の効果があると言われている。
染をする人は、カテキューの名の方が馴染みがあると思う。タンニンを多く含んでいて、明礬媒染で赤茶。鉄で焦げ茶色が染まる。しっかり染まり、堅牢性がある。民間では、皮や、船の帆、魚網を強く保つ為に染めに用いられるている。腐敗防止の効果があると言われる。アセンヤクノキで染めた布は、植物の持つ優しいぬくもりと強さがあり、時と共に着手になじんだ味わいが出てくるのが不思議だ。

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モスリン300カウント前開きピンタックボレロ

モスリン300カウント前開きピンタックボレロ250カウントの極細糸で布を織る職人さえ少ない今日、300カウントの手紡ぎの超極細綿布は希少です。暑い国インドならではの伝統的な極上の手紡手織り綿は、この上なく涼しく滑らかで、他に比べようがありません。
(モスリンについての詳しくは、ぜひこちらをご覧下さい)

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御隠殿坂のニワゼキショウ

御隠殿坂は寛永寺の北門から根岸に抜ける山道で、昔は寛永寺から輪王寺宮法親王の別邸に行く道だったそうだ。坂を下った根岸は、川が流れ、梅が咲き鶯が鳴く風情のある場所だったに違いない。明治時代には、正岡子規が長屋に住まい、そこでは文人達がたむろした。子規はにこの坂で歌を読んでいる。

御院田にて鳴雪不折両氏と別る
月の根岸闇の谷中や別れ道 (明治27年)

ニワゼキショウは坂の土手の上のあちこちに群生している。小さな飴玉のような種がかわいい。
谷中の御院殿坂の道は今でも日が暮れれは闇、そして月は根岸から登ってくる。

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谷中の丘のハハコグサ

ハハコグサ生まれ育った家や生まれて初めて触れた環境が、良く夢の中に出てくる。そんな夢は朝まで覚えていないのだが、日常のふとした瞬間に頭に浮かぶことがある。

谷中の天王寺東周辺の丘には、ハハコグサがたくさん生えている。この黄色い粟のような花を見ると4~5歳頃に良く遊んだ板橋双葉町の緑豊かな丘がよみがえる。小さな粒々の先っぽが面白くて、見ているうちにどうしても分解したくなった。綿毛の生えた葉っぱの方までそっとちぎっていくと、フワフワとしていて、母が綿入の半天作りに使っていた真綿のようにのびた。そんな幼児の時の感触や風景が今、この花を見た瞬間に鮮明に頭の中で見えてくるてくるのだ。

私の生家や、遊んだ路地、丘もすべて東京オリンピックの前、環状7号線の開通で影も形もなかった。あれはすべて、夢だったのだろうか。頭の中にだけある風景は、何が現実だったのか自信がない。谷中の丘のハハコグサは、遠い記憶が夢ではなかったことを証明してくれるようで、有り難い。