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タラヨウ

家内が急にタラヨウの葉のイラストを描かなければならなくなった。谷中の墓地にならタラヨウはあるかもしれないと思って、二人して出かけた。このあたりにないだろうかと、谷中霊園管理事務所の前にたたずんで見渡すと、「塩谷宕陰先生碑」と書かれた大きな石碑があり、そのわきに、つやのある分厚い葉をつけた木があった。「もしかしたらあれが・・・」と、近寄ってみると、葉は両わきが直線に近い長楕円形をしており、へりに独特のとがった堅い鋸歯がある。それが、タラヨウであることをものがたっていた。もっとわかりやすいタラヨウの特徴は,葉の裏を傷つけると、その部分が褐色に変化して残り、字や絵が書けることだ。さっそく、そばにあった小枝で葉の裏をかるく掻いてみると、そのあとは黒ずんだ褐色の線になった。私たちは、あまりに事が簡単にはこんだことに、笑ってしまった。

タラヨウは、高さ二十メートルくらいになるモチノキ科の常緑高木で、静岡県以西の暖地の山林に生える。雌雄異株で、春の四、五月ごろに、葉のわきに淡い黄緑色をした四弁の小さな花をむらがりつける。そして、晩秋から冬にかけて、その枝先に目も覚めるような朱色の実をたわわにつけるのだ。その実の色とつややかな葉との対比が美しいので、タラヨウは庭木としてよく植えられるが、やはり関東地方には少ないのか、そう頻繁に目にする木ではない。
その石碑のもとに植えられたタラヨウは、かなり年月は経っているようだが、剪定を繰り返されたのか小さくまとまり、枝には実がついていなかった。ほかにタラヨウの木はないだろうかとストーパ型の慰霊碑のほうに足を進めると、高く梢を伸ばし、枝を広げたタラヨウの木があった。まだ赤くなってはいなかったが、枝の先にはぎっしりと実がついている。その木をスケッチすることにした。

タラヨウの名は、その葉の裏に傷をつけると字がかけることによっている。インドにはサンスクリット語でターラ、ヒンディー語でタールと呼ばれるヤシ科の木がある。学名Borassus flabellifer、日本語でオウギヤシ、パルミラヤシなどと呼ばれる木だが、インドでは古くはこの葉を乾燥して横長の長方形に切り、その表面を鉄筆などで傷つけて辰砂や墨などを擦り込んだり、葦ペンで文字を書いて経文などを書き記していた。そのターラの名は多羅と漢字に音写され、仏典をとおして古くから日本にも伝えられている。そのターラにちなんで、日本のこのモチノキ科の木は、タラヨウ(多羅葉)の名で呼ばれるようになったのだろう。東京国立博物館の法隆寺館には梵本心経と尊勝陀羅尼経が墨書きされた貝多羅葉が展示されている。この貝多羅葉(貝多羅は葉を意味するパッタラの漢音写で、ターラの葉をさし、転じて書簡を意味する)はグプタ後期(七~八世紀)のものだとされ、世界最古の部類にはいる貝多羅葉だといわれている。

そのオリジナルのターラの木は、北インドではごくふつうに生えている。貧乏な人にとってはその葉が便利な屋根材になっていた。私が仕事でよくいくインド東部のベンガル地方では、四、五月の花序がでるころにその先をけずって樹液をあつめ、美味しいターリー(ヤシ酒)をつくったり、煮詰めて砂糖をつくったりしている。雨季(八月)に熟すオレンジ色をした果肉からもおいしい菓子がつくられる。お酒にあまり強くない私は、その季節になるとひとりでにご近所から集まってくるタール・プルリというその菓子が、今では楽しみのひとつになっている。

東京国立博物館の法隆寺館蔵梵本心経(模写:西岡由利子)
(この記事は季刊誌谷根千85号に掲載したものです)