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上野公園入り口の大寒桜


この桜は上野公園の入り口にいち早く咲く大寒桜です。左右一対の木で、毎年あふれるように咲きます。今ちょうど三分咲き、最も美しい時です。花もひときわ大く、色も濃い。桜が待ち遠しいこの時期に、”もうすぐですよ”と言わんばかりにその美しさを見せてくれる。
あと一ヶ月少しすると、本格的にソメイヨシノの並木がこの山で大騒ぎします。

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御隠殿坂のニワゼキショウ

御隠殿坂は寛永寺の北門から根岸に抜ける山道で、昔は寛永寺から輪王寺宮法親王の別邸に行く道だったそうだ。坂を下った根岸は、川が流れ、梅が咲き鶯が鳴く風情のある場所だったに違いない。明治時代には、正岡子規が長屋に住まい、そこでは文人達がたむろした。子規はにこの坂で歌を読んでいる。

御院田にて鳴雪不折両氏と別る
月の根岸闇の谷中や別れ道 (明治27年)

ニワゼキショウは坂の土手の上のあちこちに群生している。小さな飴玉のような種がかわいい。
谷中の御院殿坂の道は今でも日が暮れれは闇、そして月は根岸から登ってくる。

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谷中の丘のハハコグサ

ハハコグサ生まれ育った家や生まれて初めて触れた環境が、良く夢の中に出てくる。そんな夢は朝まで覚えていないのだが、日常のふとした瞬間に頭に浮かぶことがある。

谷中の天王寺東周辺の丘には、ハハコグサがたくさん生えている。この黄色い粟のような花を見ると4~5歳頃に良く遊んだ板橋双葉町の緑豊かな丘がよみがえる。小さな粒々の先っぽが面白くて、見ているうちにどうしても分解したくなった。綿毛の生えた葉っぱの方までそっとちぎっていくと、フワフワとしていて、母が綿入の半天作りに使っていた真綿のようにのびた。そんな幼児の時の感触や風景が今、この花を見た瞬間に鮮明に頭の中で見えてくるてくるのだ。

私の生家や、遊んだ路地、丘もすべて東京オリンピックの前、環状7号線の開通で影も形もなかった。あれはすべて、夢だったのだろうか。頭の中にだけある風景は、何が現実だったのか自信がない。谷中の丘のハハコグサは、遠い記憶が夢ではなかったことを証明してくれるようで、有り難い。

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夕やけだんだんの大藤

日暮里駅西口の藤日暮里駅西口: 
何度も通っているのに花が咲くまで、そこにこんなに立派な藤があるなんて気付かなかった。夕やけだんの階段手前左側のお宅の石垣の中から、張り出すようにビワの木が生えている。その木にからんで立ち上り、さらに向こう側の桐の木をつたって這い上がる。こんなに伸びやかな藤は都会ではめずらしい。まるで房総の山に咲く野生の藤のようだ。桐の木がもっと伸びてくれれば、天にまで伸びたいと言わんばかりだ。

花房が長いところを見ると園芸種だろう。夜店か何処かの植木屋さんで売られていた小さな苗がここまで育ったのではないだろうか。自由奔放に生ている姿を見を見ると、“誰に遠慮はいらないよ”と言われているみたいで、あたり一帯が居心地が良い。

これは、ここだけのの話だけれど、夕焼けだんだん入り口の犬やさんのご主人は、40年以上前からほとんど変わらない。ご本人に、お父さんはお元気ですかと尋ねたら、それは私です。と答えた。彼は、お化けのように年をとらない。

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芋坂のコバンソウ

koban幕末の上野戦争で彰義隊の撤退口になったという芋坂は、むかし寛永寺から王子街道や日光街道にぬける山道で、山芋が採れたそうだ。坂の下には団子屋があり、音無し川が流れていた。

その羽二重団子は今も繁盛している。醤油の団子は、どこのより比べ物にならないほど美味い。
コバンソウは、のどかだった昔の野原の面影を残すように、毎年丘の上のあちこちに群生して生える。残念ながら小判を付けた後すぐに刈られてしまうが、それでも負けずに今年も生えてきた。けな気なやつだ。

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谷中の妖精

ヒメオドリコソウヒメオドリコソウ:
今年もこの季節が来たのかと、ハットさせられる。すそが緑、頭が紫、そのグラデーションがなんとも美しく、オシャレだ。おまけに頭の帽子に羽飾りのように、淡いピンクの花をいくつか付けている。まさに踊り子か、それとも春のただ中だけに現れる妖精のようだ。一年のほんの一瞬、気付かなければすぐに消えてしまう美しさだ。

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上野のシャガ谷

シャガシャガ:
4月も半ばになると、暑くも寒くも無い。上着を着ないで自転車で散歩に出かけた。谷中、寛永寺、黒田記念館、上野公園。いたるところでシャガが咲いている。いま頃は、千葉の家のそばの九十九谷でも、このアイリスのようなかわいい花が、一日一輪づつ人知れず咲いていのだろう。
そういえば谷中や上野も房総の山と環境が似てないでもない。上野の山は大昔、東京湾に突き出た小さな半島だったそうだ。房総半島の山奥ように、ここでも木陰や谷の斜面に咲いていたのだろう。近年誰かが植えたものだとしても、この土地に合ったものを良く選んだものだ。そんなシャガは時代に負けず、強く美しくてとてもえらいと思う。