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沙羅双樹いろいろ

沙羅双樹JR日暮里駅南口から谷中霊園の方に上がってすぐ右手にある天王寺の境内に、沙羅双樹と書かれた一本の美しい木が植えられている。花はすでに終わっていたが、枝の先の方には若い実をつけた長い花序がついていた。また、千駄木一丁目にある、鴎外が長い間文学活動を続けた居宅観潮楼跡地(現文京区立本郷図書館)の庭にも、鴎外が愛した沙羅の木が植えられる。
平家物語の冒頭に出てくる沙羅双樹という美しい名をもつ木は、じつはインドに生えるフタバガキ科の常緑の高木で、仏教徒の間では、仏陀がこの世を去るときにその下に身を横たえたという涅槃の木として知られている。インドではサンスクリット語でシャーラと呼び、それが漢字で沙羅と音写され、中国を経て日本に伝えられたのだが、仏陀が身を横たえたのは、二本のシャーラの木の間だったので、沙羅双樹と呼ばれるようになった。仏教徒にとって、もっとも尊い木のひとつである沙羅双樹に馳せる思はひとしおである。とはいえ、もともと熱帯の木なので、日本のような冬の最低温度が五℃を下るような地では育たない。そこで、仏典を通して伝えられるシャーラのイメージに合った温帯の木を沙羅として植え、仏陀をしのんだのだろう。
沙羅として寺院によく植えられている木は、たいていツバキ科のナツツバキであり、観潮楼跡地の庭にある沙羅も、ナツツバキである。だが、天王寺の沙羅双樹はちょっと違って、葉や葉柄の形、枝先から伸びる花序のようすから、エゴノキ科のハクウンボクではないかと思う。オリジナルのシャーラの花を思い浮かべると、大きな花を数個つけるナツツバキよりは、小さな花を連ねてつけるハクウンボクのほうが似ていて、ハクウンボクを沙羅双樹の代理にした人のセンスに拍手を送りたくなる。しかし、葉の形に着目すると話はまた違ってくる。シャーラは、葉の形が馬の耳に似ているというので、アシュヴァカルナ(馬耳木)の別名をもつほどだが、その点では、大きさはずっと小ぶりだがナツツバキの葉は確かにシャーラの葉に似て、馬の耳のような形をしている。

沙羅双樹インドのべンガル地方の平地林で、はじめてシャーラの花を見たときの感激は、三十五年もたつ今も忘れない。林下は強烈な春の光と甘い香りに満ちあふれ、開いたばかりの赤みあるつややかな新葉をぬって、ちらちらと止めどなくなく降り注ぐ白い花は、まるで天の神が降らせる花の雨のように思われた。しかし、その聖木も、村人たちにとってはとても便利な木で、その葉は、綴じ合わせてご飯を盛る皿としたり、くるりとまるめて汁ものや酒をつぐ椀にしたり、結婚式などのような人集まる場所の食事や、駅の飲食店などで日常的に使われている。そして、その幹からとれる樹脂は、ドゥーニーと呼ばれ、薫香として毎夕ヒンドゥー教徒の家々で焚かれるのである。この樹脂はサンスクリット語でサルジャラサ(薩折羅沙)といわれ、白膠香(はくこうこう)と漢訳されて伝えられている。また、堅くて狂いのない木材も、建築や家具材として人気が高い。

(この記事は季刊誌谷根千86号に掲載したものです)